暑い夏だった。 家から持ってきたアイスノンを、小さなエンジェルボックスに敷き詰める。 アイスノンがすっぽりと収まってしまうほど、その箱は小さかった。
夜中に一人、一羽ずつ心を込めて折った折鶴。 色とりどりの鶴を、赤ちゃんの周りにそっと散りばめた。 帰宅してすぐ、私はその箱を寝室へ運び、隣に横になった。
子どもたちは保育園に行ってもらったので、家の中は静まり返っている。
ほんの1週間前までは私のお腹の中にいたのに、今はこうして、隣の箱の中で眠っている。 我が家に帰ってこれた安堵感と同時に、「もう、あの子はお腹にいない」という現実に引き戻され、胸が締め付けられた。
夫はといえば、朝から役所の手続きや私の迎えで走り回ってくれていたが、家に着くなり仕事部屋にこもり、パソコンに向かっていた。
私は産後休暇として、今日から2ヶ月間休むことができる。けれど、死産の場合、パートナーには忌引などの公休が認められない。休むのであれば、有給を使うか、欠勤扱いになるしかないのだ。
(これについては、国や社会の制度が追いついていない。もっと変わるべきだと、心から思う。)
「本当なら、一緒に育休を取るはずだったのに」
なんとなく、これが最後の出産になるだろうと感じていた。 だからこそ、今回は夫婦で1年間の育休を取り、家族5人でゆっくり過ごす計画を立てていたのだ。
叶わなかった未来の計画が、音を立てて崩れていくような、孤独感が込み上げてきた。
赤ちゃんを失った悲しさと同時に、私は長女のことも心配していた。
入院中、赤ちゃんを助けてあげられないかもしれないと正直に話したとき、彼女はこう言ってくれた。
「赤ちゃんの耳が聞こえなくても、私、手話ができるから大丈夫だよ」
「動けなくても、ご飯を食べさせてあげる。抱っこだってできるよ」
その言葉を聞いて、涙が止まらなかった。子どもの純粋な、諦めない気持ちがなんて尊いのだろうと思った。
退院した私を、娘たちは全力のハグで迎えてくれた。
夫は「赤ちゃんに対面させるのは」と反対していたけれど、私は、できれば、赤ちゃんとの別れを理解するためにも子どもたちには対面させてあげたいと思っていた。
夏場だったので、私は2〜3時間おきにアイスノンを替えに部屋へ行く。 そんな私の様子を見て、長女が気づいた。 「ママ、そこに赤ちゃんがいるの?」
私は正直に、「うん、ここにいるよ。会いたくなったら教えてね」と答えた。娘は考え込むような顔をして、何も言わずに部屋を出た。
転機は、次女がふらりと部屋に入ってきたときに訪れた。
「赤ちゃんだ!!! かわいいねえ、メルちゃんみたい♡」
当時メルちゃん人形で遊ぶのが大好きだった次女の、あまりにポップな第一声。
次女はそのまま「おいでよ!」と長女を呼び寄せた。
恐る恐る箱の中を覗き込んだ長女は、表情を曇らせてポツリと言った。
「赤いね。……怖い」
彼女は、次女が生まれた時のことを覚えている。その記憶にある「赤ちゃん」とは、あまりにかけ離れた姿。 私は長女を抱きしめて、伝えた。 「怖いよね。それでいいんだよ。でもね、ママにとってはあなたたちと同じ、とってもかわいい赤ちゃんなの」
助産師さんのアドバイスを思い出しながら、赤ちゃんは赤いから「赤ちゃん」って呼ぶんだよということや、お腹の中でどう育ってきたかを丁寧に話して聞かせた。
それからは、私が部屋に行くたびに子どもたちも付いてくるようになった。 次女は相変わらず「寝てるね〜、カワイイ!」とニコニコしながら、小さなほっぺを触って「冷たい! でもぷにぷに〜!」とはしゃいでいる。
その姿を見て、長女も「……触っていいの?」と指を伸ばした。
「もちろん! たくさん撫でてあげて」
そうして数日を過ごし、火葬の日がやってきた。
長女に「一緒に行く?」と聞いたが、その日は保育園の夏祭り。
彼女は「お祭りは絶対に行きたい」と言った。
登園前、私は「今日でお別れだよ」と改めて伝えた。
「もう本当に、これでバイバイなの?」と聞き返してきた長女。
「そうだね。でも、お骨になって帰ってくるし、姿は見えなくなっても、家族みんなの心の中にずっといるよ」
そう伝えた瞬間だった。
「嫌だよ、寂しいよおおおおお!!!」
それまで一度も泣かなかった長女が、声を上げてわんわん泣き出した。
ずっと彼女の中で張り詰めていた何かが、ようやく解けたのだ。 私たちは、小さなエンジェルボックスを囲んで、4人で抱き合い、声を上げて泣いた。
「こうやって、悲しいことや辛いことがこの先もあるかもしれない。でもね、言葉にしてママやパパに話して『半分こ』しよう。嬉しいことは、話すと倍になるんだよ。だから、何でも思ったことは言っていいんだよ」
泣きじゃくる娘を抱きしめ、私も泣きながらそう伝えた。
結果的に、娘たちを赤ちゃんに対面させたことは本当によかったと思う。もし会わせずにいたら、彼女たちは本当の意味で命を理解することはできなかったかなと。
今でも、子どもたちは赤ちゃんの仏壇の前を通るたび、 「おはよ〜!!!」 と明るく声をかける。 うっかり仏壇に物が当たってしまったときなどは、「あ、赤ちゃん、ごめんね!」と手を合わせる。
赤ちゃんが大好きな長女は、街で赤ちゃんを見かけると「カワイイ〜!」と目を輝かせる。けれどその直後、私にだけ聞こえるような小声でこう囁くのだ。
「……でも、うちの赤ちゃんの方が可愛かったよね」
そう言ってニヤリと笑う彼女を見て、私も思わず吹き出してしまう。 子どもたちは、こうして悲しみを乗り越え、自分たちのやり方で赤ちゃんの存在を日常の中に溶け込ませていった。
退院するとき、ある助産師さんが姉妹の姿を見つめながらこう言った。
「お子さんたちにとっても、すごく良い経験になると思いますよ」
その瞬間は、「なんてことを言うんだろう……」と耳を疑った。こんなに過酷で辛い思いをしているのに、これが良い経験だなんて。
けれど、ようやくその言葉の真意がわかった気がする。
私は、もっと今目の前にいる娘たちを大切にしようと心に決めた。
子育てをしていれば、いろんなことで悩んだり、イライラしたりすることもある。けれど、やっぱり元気で育ってくれていることに感謝の気持ちでいっぱいだ。それだけで、もう十分なのだ。
「なかったらよかった」と思う、あまりにも悲しい経験だった。 けれど、この経験がなければ、今の私たち家族もいなかった。
命の尊さ、失う悲しさ。
そして、それを家族で支え合う温かさ。
あの子が命をかけて教えてくれたことは、今も私たち家族の心の中で、優しく、強く、息づいている。

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