LDR(陣痛分娩室)のベッドの上で、私たちは何度も、何度も話し合った。 けれど、突きつけられた現実はあまりにも重く、心が追いつかない。
「どうして、こんなことになってしまったんだろう」
娘たちの迎えは、少し離れた場所に住む祖父母に託した。 本来なら、4ヶ月後に新しい命を家族で迎えるはずだったこの場所で、今は夫と二人きり。静まり返った部屋で、私たちは言葉を絞り出した。
お腹の中では、赤ちゃんが元気に動き回っている。 その胎動を感じるたびに、頭では「もうどうしようもない」と分かっていても、「諦める」という言葉を自分から口にすることだけは、どうしてもできなかった。
沈黙を破ったのは、夫だった。
「子どもたちのこと、自分達のこと、みんなの未来を考えて、諦めよう。」
その言葉を聞いた瞬間、胸が潰れそうになった。 けれど、心のどこかで分かっていた。
その選択がどれほど辛いものであっても、今の私たちにとっては間違っていないのだと。
自分からは言えなかった。でも、「私も、そう思う」という言葉が、自然と口からこぼれ落ちていた。
母親として赤ちゃんを思えば、中絶なんて考えられない。最後まで赤ちゃんと自分の生命力を信じたい。 けれど、私には愛する娘たちがいる。
もし、このまま厳しい条件で生まれてきたら。 娘たちや夫の日常は、想像を絶する過酷なものになるだろう。
「大丈夫、絶対に乗り越えられる」と自分に言い聞かせようとしたけれど、現実はそんなに甘くないことも、心のどこかで理解してしまっていた。
夫ははやく家に帰ろう。2人もママを待ってるよと言ってくれた。
泣きながら、ナースコールを押した。
駆けつけてくれた医師たちに、震える声で伝えた。
「中絶の手術をお願いします」
辛くて、苦しくて、仕方がなかった。 でも、同時に、一刻も早く家に帰って娘たちの顔が見たかった。 今、子どもたちを抱きしめていないと、自分が壊れてしまいそうだった。
ようやくの思いで決断を伝えた私に、医師たちは信じられない言葉を返した。
「今日はもうこの時間なので、対応できる医師がいません。明日も祝日で不在の医師が多いので、処置は休み明けになります」
あんなに「明日か明後日までに」と答えを急かしたのに。 あんなに、今すぐ決めなければならないと追い詰められたのに。
さらに、医師は言葉を重ねた。 「今の状態なら、自然に生まれてくる確率の方が高いです。中絶の処置は母体への負担も大きいですから、できれば自然分娩で待つのが望ましいでしょう」
急いで、急いで、心を引き裂かれる思いで答えを出したというのに。行き場のない感情が、静かに部屋に充満していった。
けれど、しばらくして、 無理に処置をするのではなく、自然に生まれてくるのを待つこと。
その方が、この子にとっても辛くないのかな。苦しくないのかな。
そう思うと、不思議と納得している自分がいた。
この子のタイミングで外の世界に出てくるのを待つこと。それが、今の私がこの子にしてあげられる、最後に「してあげられること」のように思った。
それからの3日間は、ただただ辛く、苦しい時間だった。 そんな私を支えてくれたのは、助産師さんの温かな気遣いだった。
「少しでも辛くないように、面会時間外でもお子さんや旦那さんをいつでも呼んでいいですからね」
お言葉に甘えて、毎日娘たちを連れてきてもらって、病室で一緒におやつを食べたり、娘達と3人で一緒にベッドに横になったりもした。
子どもたちといる時は笑顔になれる自分がいた。
「少しずつでいいから、赤ちゃんが生まれたあとに『してあげたいこと』を教えてください」
手渡されたのは、その病院でできることがまとめられた一冊の冊子だった。 一つひとつの項目に目を通すうちに、私の心に小さな光が灯った。
「全部、やってあげたい」
胸の上で抱いて看取ること。手形をとること。へその緒を切ること。沐浴をさせて、母乳をあげること。 この子のためにできることが、まだこんなにたくさんある。
そして、その時はやってきた。
赤ちゃんは、驚くほど自然に、自分のタイミングで生まれてきてくれた。
「もうすぐ生まれる」 なんとなくそう確信していた私は、夫に連絡を入れることができた。夫も覚悟を持って、その瞬間を共に迎えることができた。
いざ分娩台に乗ると、不思議な感覚に包まれた。 悲しい別れの場所ではなく、上の子二人を産んだ時と同じ、新しい命を迎えるための気持ちで臨んでいた。
まだ小さな赤ちゃんは、出産の途中で逆子になり、骨盤位での誕生となった。 生まれるその瞬間まで、足をバタバタと元気に動かしているのが分かった。 「この子は今、生きている」 そんな様子を感じるだけで、この出産には大きな意味があるのだと、心から思えた。
生まれた瞬間、頭に浮かんだのは「ありがとう」という言葉だった。
私達のもとに来てくれてありがとう。
頭の上で、夫が泣いているのが分かった。
冷たくて、そして強く、とても小さな体。 体を温めるように、私は赤ちゃんを胸の上に抱いた。 まるで眠っているような、穏やかな顔だった。 こんなに小さな赤ちゃん。なのに、お姉ちゃんたちにそっくりな顔をしていることも、すぐに分かった。
その日の夜。赤ちゃんと病室で一緒に過ごした。
本当は抱いて寝たかったけれど、体の状態が悪くなってしまうとのことで、冷房を19度に設定して、赤ちゃんはコットに、私はベッドの上で布団をかぶって凍えながら過ごした。
夜中は眠れない中、助産師さんがくれた折り紙で小さな折鶴を何羽も何羽も折った。
助産師さんは何度も様子を見に来てくれて、私も折ります!と忙しい仕事の合間を縫って折ってくれたり、病室に何度も足を運んで抱っこしに来てくれた。
抱っこしてもいいですか?
よく頑張ったね!!!!
お姉ちゃんたちによく似てるねえ!イケメン君!!
と赤ちゃんをかわいがってくれて、称えてくれて、私も本当に嬉しかった。
夫がぽつりと、「子どもたちには、会わせられないな……」と呟いた。 夏の日差しは容赦なく、まだ小さなこの子への負担を考えて、一度は病院に預かってもらうことにした。
けれど、病室で一人目覚めたとき、どうしても自分だけが退院してこの子を置いていくなんて、できなかった。 「一緒に連れて帰りたい」 起きてすぐ夫に電話をし、私の我がままを聞いてもらった。
急いで病院へ来てもらい、書類を揃えて役所へ。死産届を出し、火葬許可証を受け取ってもらう。火葬許可証がなければ、我が子を家に連れて帰ることさえできない。そのことを、私はこの時初めて知った。
病院では、ご遺体の安置を担当するスタッフの男性が、棺(ひつぎ)の説明をしてくれた。名札には「営業部」と書かれている。 提示された金額は、思っていたよりもずっと高価だった。
説明を一通り終えたあと、その方はこう言った。
「……今説明したのは、あくまで病院からの案内。ここからは、僕個人としてお話しさせてね」
「うちを利用したら、これだけのお金がかかってしまう。けれど市が運営している火葬場なら、ずっと安く済むよ。自分で日程を決めて手配する必要はあるけれど、それほど大変な作業じゃない。お家に連れて帰るこの小さな『エンジェルボックス』のまま火葬もできるから、少し考えてみてごらん」
そう言って、その場で火葬場の連絡先を調べ、名刺の裏に丁寧に書き込んで手渡してくれた。
なんて親切な人なんだろう、と思った。 私も仕事で営業をしているからこそ、わかる。自分の会社の利益よりも、目の前の相手を想って行動することの難しさと、その美しさが。 どんな巧みな営業トークよりも、その誠実な立ち振る舞いは、私の心に深く、温かく刻まれた。
帰り際、数日間寄り添ってくれた担当の助産師さんが、赤ちゃんを抱きに来てくれた。 彼女は愛おしそうに赤ちゃんを見つめて声をかけた。
「君は勇者だね。生まれてきてくれて、ありがとう」
その言葉を聞いた瞬間、私の目から涙があふれ出した。
諦める、そんな絶望の淵で、この子の短い一生を「勇者」と呼び、感謝してくれた人がいた。そのことが、私の心を救ってくれた。
助産師さんは、 「大切な瞬間に立ち会わせていただいて、本当にありがとうございました。お家に帰ってから、また気持ちが波立つこともあると思います。どうか無理しないで。私たちはいつでもここにいますから、いつでも来てくださいね」
病院という、生と死が隣り合わせの場所で出会った優しさを胸に。 私は、小さなエンジェルボックスを大切に抱え、ようやく自宅へと向かった。

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