2025年、夏。

あの日は、溶けてしまいそうなほど暑い日だった。

妊娠6ヶ月。つわりも落ち着き、体調は安定していた頃。けれど3人目ということもあり、お腹は大きくせり出ていた。


「もう子供たちの送迎は僕がやるよ」 そう言って、仕事で帰りが遅いはずの夫が、朝夕の送り迎えを買って出てくれるようになった。パパと過ごす時間が増えた娘たちは、毎日本当に楽しそうだった。

一方で、私はといえば、新しいチームに配属されたばかり。 上司には妊娠を伝えていたが、変わらぬ業務量に追われる、忙しい日々を送っていた。

入院することになる当日も、まさか自分が「切迫」だなんて微塵も思わず、普通に出社した。 朝から少し出血があったけれど、妊娠初期から「出血しやすい体質」と言われていた私は、それに慣れきってしまっていた。健診のたびに「念のため、張りがあったら連絡を」と言われてはいたが、どこか他人事のように捉えていたのだ。

「あの時、すぐに電話していれば」 今でも、後悔の念が消えることはない。

会社に着いてしばらくすると、お腹が定期的に張っていることに気づいた。 二度の出産を経験し、あの陣痛の痛みを知っているからこそ、「まさか、違うよね。まだ6か月だもん……」と自分に言い聞かせた。 けれど、念のためにとメモを取ると、ぴったり1時間に1回、張りがやってくる。

痛みはほとんどない。例えるなら、陣痛を10万分の1にしたような、経験がなければ見逃してしまうほど微かな違和感。 それでも、その「規則正しさ」に胸がざわつき、病院へ電話を入れた。 「念のため来てください」 その言葉を受け、私はやり残した仕事をデスクに置いたまま、病院へと向かった。

大学病院に着くと、いつもなら数時間待たされるはずが、すぐに診察室へ通された。 「21週ですから、早めに診てもらいましょうね」 助産師さんのその言葉に、かえって心臓の鼓動が速くなる。

内診が始まった瞬間、部屋の空気が一変したのがわかった。 若い医師が、焦ったような声で「○○先生を呼んで」と指示を出す。 またたく間に多くの医師が集まってきた。

「臍帯(さいたい)? ……いや、臍帯じゃないな」
「うん、出ちゃってるね」

カーテン越しに聞こえる緊迫したやり取り。私の動悸は止まらなかった。 診察が終わると、医師から淡々と、しかし残酷な現実を告げられた。

「すぐに入院です。一歩も動かず、絶対安静にしてください」

続けて、言葉が突き刺さる。

旦那さんはいつ到着するのかと聞かれて、来てから詳しく説明しますと言われたが、待っていられないので初めに1人で聞きますと伝えた。

「正直、今の状況で助けられる見込みはゼロに近いです。数日で生まれてしまうでしょう」

頭が真っ白になりながら、私は絞り出すように聞いた。


「万が一生まれても、NICU(新生児集中治療室)には入れますよね?」

「今は21週です。22週を超えないと、赤ちゃんを助けることはできないんです」

医師の説明は続いた。 陣痛を止める薬はあるが副作用が強く、今の週数から使い続けるのは母体の負担が大きすぎること。22週を超えたとしても、自然分娩には耐えられないため緊急帝王切開になるが、赤ちゃんを早く取り出してあげるために大きくメスを入れる必要があり、その後の不妊のリスクがあること。そして、22週で生まれた子の生存率や、残る可能性のある障害について。

まるで、遠回しに「諦めなさい」と言われているようだった。


診断結果は、「胎胞(たいほう)脱出」。そして、微かな破水の疑い。

本来はお腹の中に収まっているはずの、赤ちゃんを包む袋が出てしまっている状態だった。

子宮頸管を縛る手術という選択肢もあった。けれど、もし破水していればその手術さえできない。 今の私には、何もしてあげられることがない。あまりにも絶望的な状況だった。

「いつ生まれてもおかしくないので、LDR(陣痛・分娩・回復室)へ移動します」

そう告げられ、私は車椅子に乗せられた。 バタバタと移動する中、会社から駆けつけた夫が到着した。彼の顔を見た瞬間、張り詰めていた糸が切れ、涙が止まらなくなった。

再び医師たちが集まり、夫へも先ほどと同じ説明が繰り返される。 夫も私と同じように、「NICUで助けてもらうことはできないんですか?」と問いかけていた。

医師は、さらに残酷な現実を突きつけた。

「今は21週です。法律上、今であれば人工妊娠中絶を選択することができます」

「このまま様子を見ても、数日で生まれてくる可能性が高いでしょう。もし22週を超えて法的に中絶の処置はできなくなるので、より辛い時間を過ごすことになるかもしれません」

「中絶するかどうか。時間がないので明日か明後日までには、答えを出してください」


医師たちが出て行ったあと、私は夫に向かって「ごめんなさい」と、何度も、何度も繰り返した。

私が謝るたびに、夫は苦しそうな顔をして、何も言わずに私を抱きしめてくれた。

あの時の彼の表情は、今も脳裏に焼き付いて離れない。