私は赤ちゃんがいない、お世話をする必要のない産後休暇がこの世に存在することを、自分が体験してはじめて知った。 法律では、妊娠4ヶ月以降出産した場合、それがたとえ流産や死産であっても、会社は女性に産後休暇を与えなければならないと定められている。
第三子の妊娠期間中、私は正直に言って、体力的にも精神的にも本当にしんどかった。
第一子、第二子を妊娠・出産したのは20代前半の頃。当時はまだキャリアも浅く、仕事がそこまで負担だと感じた記憶はなかった。 しかし、28歳で迎えた第三子の妊娠は、まったく違っていた。
それなりに経験とキャリアを積み、フルタイムで働き、責任のある仕事を任されるようになっていた。もちろん、私の絶対的な日常である二人の子育てと家事をこなしながら。”こなす”という言葉が合っているのかわからないがとにかく毎日生活することに必死だった。体力の衰えなのか、自分のキャパオーバーなのか、それとも実力不足か。 すべての重圧を背負いながらの妊娠生活だった。
三人目の妊娠は、計画的だったわけではない。上の二人もそうだった。 けれど、「ここからキャリアを積んでいきたい」という想いの裏腹に、「もう一人子どもが欲しい」という願いもあった。だから、お腹に命を授かったと知った時は、素直に嬉しかった。 けれど同時に、仕事はどうしようという不安。 私にしかできない仕事があると自負していて、どうやって上司に伝えればいいのか悩んだ。
働く女性の誰もが、妊娠・出産とキャリアを天秤にかけなければいけない瞬間に直面するのだと思う。企業に属していれば周りへの影響に悩み、フリーランスであれば「自分が休む=仕事も収入もストップする」という恐怖と戦う。 新しい命を授かることは、本来この上なく喜ばしいはずなのに、同時に不安や葛藤を背負うことになる。
話を戻すと、当時の私は「自分にしかできない仕事」をたくさん任されている、と思い込んでいた。
切迫で入院することになったあの日。 本当は、在宅勤務をしてもいい日だった。朝から少し違和感があったのに、「会社に私がいなければ仕事が回らない」という、今思えば謎の責任感と使命感から出社した。今でも、後悔が襲ってくることがある。 どうしてあの朝、すぐに病院に行かなかったのか。もし行っていれば、あの子を助けることができたのではないか、と。
結果として私はそのまま入院となり、引き継ぎをする時間さえ一切ないまま、「赤ちゃんのいない産後休暇」に突入した。
私が不在のあいだ、会社が、仕事がストップすることはなかった。 冷静に考えれば、当たり前のこと。「私の代わりはいない」と思い込んでいたけれど、私がいなくなれば、会社は当然のように仕事が回るよう体制を調整する。もしかしたら、私が現場にいれば、もっと結果が出せていたかもしれないと考えたりもしたけれど、「私が居なければ、この場所は回らない」なんてことはないのだと証明された。それは私にとって、むしろ、心の奥底がすっと軽くしてくれた。
「私がいなくてもちゃんと回るんだ」
「そんなに、一人で気負わなくてよかったんだ」
私の代わりはいないという謎の使命感に、自分で自分を縛り付けて、勝手にキャパオーバーになっていたことに、ようやく気がついた。
「こっちのことは大丈夫。今はご家族とゆっくり過ごしてね」
産後休暇中、すべてを打ち明けていた上司は、私を気遣う連絡をくれていた。私が休業前に関わっていた仕事がうまくいった、という嬉しい報告もあった。もちろん、仕事の成果は純粋に嬉しかった。けれど私の心は、もう以前の場所にはなかった。 悲しみの淵で、今目の前にいる子どもたちや夫と過ごすうち、私の考えははっきりとまとまっていった。
「私がいま一番大切にすべきなのは、自分自身、そして家族との時間だ。これこそが、私の居場所なんだ」
私は上司に、退職の意向を伝えた。 働くことに前向きになれないということと、今自分が向き合うべきことは、自分自身と家族との時間であることを素直に綴った。 すると上司からは、「連絡くれてありがとう。その決意と、こうして誠意を持って伝えてくれたことに感謝します」と返信が届いた。 その温かい言葉に、張り詰めていた心の中の荷物が、すべてすとんと下りた気がした。
本当に大好きな上司だった。 退職を伝えたからといって、気まずい感情なんて微塵もなかった。むしろ、会いたいと心の底から思えた。 同じ子育て中のママとしてキャリアを築いてきた姿を側で見つめ、上司としても一人の女性としても、深く尊敬していた。時には怖い存在でもあったけれど、時にママ友のように子育ての相談で盛り上がることもあり、私にとって本当に大きな心の支えだった。
それから少しして、上司と久しぶりに会ってランチをすることになった。 メイクをして、少しおしゃれをして外出し、誰かと外でご飯を食べる。そんな当たり前の日常が、退院して以来初めてのことで、それだけで少し嬉しかった。
席につくと、この産後休暇をどんな想いで過ごしていたか、そして今の会社の状況はどうなのか、他愛のない話などで盛り上がった。意外にも笑って明るく話せている自分にも安心した。上司は、私が仕事を辞めることについて改めて「会社のことは心配しなくていいからね」と笑ってくれた。
けれど、話が次の妊活のことへ及んだとき、上司はこう提案してくれた。
「もし、次の妊活のことも考えているならね、会社を辞めずに、うちに残って完全在宅で働く道もあるよ。好きな時間に、好きなように働いていい。今までと同じお給料は出せないけれど、次を考えているなら、保障を残しつつうちでゆっくり働くっていう手段もあるからね」
予想もしていなかった、温かい提案だった。
「白か黒」
「バリバリ働くか、すべてを手放すか」
この2択しかないと思い込んでいた私に、「籍を置いたまま、自分のペースを守りながら働く」という、第3の選択肢を差し伸べてくれた。けれどすぐには決断できず、2ヶ月の産後休暇を終えてもまだ悩み続けていた。なぜなら、優しさに甘えて残る決意をしたとしても、心のどこかで「本当にゆっくり働いていいよという言葉を信じていいのだろうか」と疑ってしまう自分がいたからだ。 いざ復職したら、結局目の前のいろんなタスクを断れずに引き受けてしまい、また自分で自分を追い詰めてしまう。そんな自分の姿が、容易に想像できてしまった。夫に「会社に残るという選択肢もあるみたい」と伝えたときの反応も、消極的なものだった。 「残ることを否定はしない。でも、また自分で『やれるから』ってタスクを背負い込んじゃうなら、結局前と何も変わらない気がするよ」
一番近くで私を見てきた夫の言葉は、痛いほど核心を突いていた。
けれど、家計のことを考えると、自分の収入を完全にゼロにすることにはどうしても不安が残る。 そして何より、「もし、また赤ちゃんを授かることができたら、次は絶対に万全の環境でお迎えしたい」という強い想いがあった。
悩みに悩んだ末、私は会社に籍を残すことを決意した。
そうして形を変え復職し、今は本当に、自分のペースで働かせてもらっている。
小学生になった長女は、学校から帰ったときに私が家にいるということで、産後休暇をもの凄く楽しみにしてくれていた。当初思い描いていた「赤ちゃんとママが家で待っている未来」とは、違う形になってしまったけれど、私と一緒にいられる時間を喜んでくれているし、私もおかえりを言えることが嬉しい。
キャリアを積んできた私には、できるようになったことがたくさんある。目の前で困っている人がいれば、以前ならすぐに声をかけて手伝っていただろう。自分でやった方が早いからと、仕事を人に振ることもせず、自分で抱え込んでいたはず。けれど今は、意識して「タスクを自分から拾いに行かないこと」を徹底している。かつての執着やマインドを、思い切って手放してみた。 そうしてみても仕事全体が滞ったことは一度もない。
こうした経験を経て、私が最終的に伝えたいのは、二つのこと。
一つは、「その忙しさは、実は自分自身で作り出しているかもしれない」と、一度疑ってみてほしいということ。 『私がやらなきゃ』という気負いを捨てるだけで、働く環境は驚くほど楽になる。
そしてもう一つは、「キャリアをゼロにするか、無理して続けるか」の二択に、どうかひとりで苦しまないでほしいということ。
もし、もう限界で辞めることしか考えられなくなったら、最後に一回だけ、わがままを言ってみてもバチは当たらない。だって私達はもうこれ以上ないほどに傷ついたから。思い切って本音を伝えてみたら、思わぬ逃げ道や、新しい選択肢が開けることだってあるかもしれない。すべてを手放してしまう前に、少しだけ、周りに甘えてみる。 わがままと言われても、周りに甘えてもいい。 悲しみを抱えながらでも、自分の心と家族の笑顔を守りながら、もっと自由に働き方を選んでいける。
形を変えながら続いていく、私のキャリアのキロク。 これが、キャリアの瀬戸際で悩んでいる誰かの、小さな支えになることを願って。


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