子どもたちは、意外にもすんなりと「赤ちゃんがいない日常」を受け入れていった。
けれど、心配していた長女には、少しずつ変化が現れた。 1ヶ月ほど、心が不安定になったのだ。次女が生まれた時にはなかった「赤ちゃん返り」のような時期。 ちょっとしたことで火がついたように大泣きし、「どうせ私が悪いんだ!」と自分を責めて塞ぎ込む。妹におもちゃを取られただけで、1時間も泣き続けることもあった。普段なら倍返しで怒り狂って取り返すはずの彼女が、だ。
そのたびに、私は長女を安心させたくて強く抱きしめた。 「大丈夫だよ、大好きだよ」 声をかけると、彼女は目を真っ赤に腫らしながら、「ママ、大好き」と何度も返してくれた。
一方、次女はまだ幼く、いつもと変わらぬ様子で過ごしていた。 そんな二人の心を守ることに必死で、私はいつの間にか、自分自身の赤ちゃんへの悲しみ――「グリーフ」と向き合うことを、すっかり忘れていたのだと思う。時折、どうしようもない悲しみに襲われ、涙が止まらなくなることはあった。 けれど、当時の私は、ただ今日一日を生き延びることに精一杯だった。
それから一年。 ようやく、自分の悲しみと向き合う時が来た。けれどそれは、穏やかなものではなかった。 出産予定日を過ぎた頃から、私の心のバランスは目に見えて崩れていった。
「もし、赤ちゃんがいたら……」
今頃、こうだったはず。 赤ちゃんがいたら、夫だって朝まで飲み歩いたりはしなかったはず。 赤ちゃんがいたら、もっと穏やかな空気だったはず。 元気に産んであげられていたら、今頃はハイハイをして、目が離せないくらいに成長していたはず。
ーーーー赤ちゃんがいたら、私たちはもっと、幸せだった。
そう思わずにはいられないのだ。 自分の時間を謳歌しているように見える夫。それに対して、悲しみが薄れるどころか、どんどん寂しさが募っていく私。
あの子がいない世界で、夫は仕事に、自分の人生に生きている。 けれど私は、あの日から一歩も動けずに、真っ暗な部屋に取り残されているような。 そんな耐えがたい孤独感に、今、襲われている。
「子を亡くすのは、未来を失うこと」 その言葉に出会った瞬間、バラバラだった私の感情が、ひとつの形に繋がって腑に落ちた気がした。
時差で押し寄せるこの激しい悲しみを、「自分は後退している」「いつまでも過去にすがってしまっている」と感じていた。すっかり元気になったつもりでいた。
けれど、日を追うごとに、私はあの子がいたはずの「未来」がどこにもないことを、痛いほど実感するようになっていった。でもこの孤独感は、ただ懸命に生き延びていた時間が過ぎ、ようやく残酷な現実が、私に追いついてきたからなのだと。
親を亡くせば、共に過ごした「過去」を失う。 パートナーを亡くせば、共に支え合う「現在」を失う。 我が子を亡くすということは、共に歩むはずだった「未来」のすべてを失う。
お腹の中にいたときから描いていた、あの子の成長、家族の姿、交わされるはずだった言葉。 そのすべてが、消えてしまった。私は、あのお腹の中で動いていた愛おしい感触とともに、あの子との「未来」を失ってしまったのだ。だからこそ、一年経った今でも、あの日から時間が止まったままのような孤独の中にいる。
正直に言えば、今でもこの悲しみをどう乗り越えればいいのか分からなくなる時がある。この先、この気持ちが完全に消える日なんて来ないのではないかとも思う。 不意に涙が止まらなくなったり、体がズドンと重くなって動けなくなったりする日もある。 子どもたちがいない時間は、お腹も空かず、ただぼーっと時が過ぎるのを待つだけ。「なぜ私だけこんなに怠けているんだろう」と、自分自身に嫌悪感を抱くこともあった。(仕事については、また次作で詳しく書きたいと思う)
誰にも言えず、一人で抱え込んでいた孤独。 その重みは、いつしか夫婦喧嘩を増やし、子どもたちとの関わり方さえもぎこちなくさせていった。
「これではいけない」
そう思い、私は夫にすべてを打ち明けた。 ずっと寂しくて、一人で泣いていたこと。 誰にも相談できず、世界に一人だけ取り残されたような気持ちになっていたこと。 そして、この思いを共有できるのは、世界中であなたしかいないのだということ。
夫は驚いたような顔をして言った。
「そんな風に思っているとは気づかなかった。ごめんね」
そして、彼なりの本音を話してくれた。 「考えると悲しくなるから、あえて余計に考えないように、思い出さないようにしていたんだ」
きっとそうだろう、と予想はしていた。 けれど、彼の口から直接その言葉を聞けたことで、私は本当の意味で彼を理解できた気がした。 話してみなければ分からなかった、予想もしていなかった言葉たち。それを交わすことで、過去の彼の行動の理由がようやく腑に落ち、想いの「温度差」はあっても、私たちは同じ方向を向いて歩いているのだと再確認できた。
「楽しいこと、たくさんしよう」
夫は話し合いの最後に、そう言ってくれた。
「うん、そうしよう」 私は心からそう答えた。
今年の夏は、子どもたちとたくさんの思い出を作りたい。 自分が行きたいと思ったところ、やりたいと思ったこと。これからは我慢せず、挑戦していこうと思う。
きっと、出かけた先で「あぁ、赤ちゃんがいたらこうだったろうな」という思いが、不意に湧いてくることもあるだろう。 でも、それでいい。 そう思ってしまう自分を、もう否定しなくていい。
悲しみを抱えたままでも、あの子を想って涙する日があっても、私は笑っていいのだ。 そんな自分をまるごと受け入れながら、少しずつ、少しずつ。 笑顔でいられる時間を、増やしていきたい。

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